taiki-t's diary

React Native, Rails そして雑多な記録: The world is waiting for you to give it a meaning.

感情を自由に書き表せたらな。ときどき、そう思う。そういうスキルが無い者としては、ただただ、その「表したい何か」を抱えて画面をじっと見ておくことぐらいしかできないのだけれど。自分の表したい気持ちを自由に文章に表せられるなら、それはどんなに素晴らしいだろう。無駄に一人でモヤモヤを抱えたまま、数時間を過ごすということも無いのかもしれない。書いた文章に対面する。そこには自分の気持ちが書いてある、整理される、納得する。そんなふうに物事が進むのだろうか。いや、それはただの願望かもしれない。それができたらきっと世の中の創造物なんてものはもっと少ないんじゃないだろうか。でも、一時だけでも、心のしこりを取り出して眺めることができたら。その一時がほしい。

昔は、もっと楽だった気がする。怒りたいときに怒って、泣きたいときには、いや。泣きたいときは怒っていた。そういう意味でこの感覚はやはり昔は良かったに類されるものだろうと思う。今はもっと、素直に泣けるようになったのではないだろうか。泣くにも資源が必要で、生きる上でその資源を得た気がする。もちろん、悲しかったり悔しかったりしたら小さい頃はよく泣いていた。それはあくまで自分の中の感覚が勝手にそうさせていた。今泣くとしたらそれは、それは目に映る世界の背景がもう少し見えるようになったからなんじゃないかと思う。進んで手に入れたかったわけじゃなかった気もするけど。まあでも、それも一味。

小学生に上がるかどうかってとき、100円のおもちゃを両親に買ってもらった。お菓子とおまけが一緒になっているようなやつ。ロケットのフィギュアがどうしても欲しかった。何度かねだった挙句買ってもらった時の嬉しさといったら。それは特別な時であり、ことだった。今、飲んでるコーヒーは345円。嘘。2杯目だから108円。このコーヒーの苦味を僕は今、その時の100円と比べている。これぐらいのことだったらいつでも好きな時に自分で手に入れられるようになった。あのおもちゃが4つも買える。大人がコーヒーを飲むのがずっと不思議だった。あんな苦いもの。どうやら甘みを感じる味蕾が減るから大人は苦いのが平気になるってその昔読んだ本に書いてあった。今単純に思うと、減るなら逆にもっと甘いもの食べたくなるんじゃないのって思うけど。感覚が鈍くなること。大人になること。

そういう感覚を言葉に表せないまま、コーヒーの冷たさに触れたままでいる。