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taiki-t's diary

あいうえお

感情と雪解け

なまもの

あれほど憎らしく思えた相手でも、その背景を知るとその気持ちがあっという間に変わることがある。それはさながら春の雪解けのように。実はその相手にものっぴきならない理由があって、たとえ自分がその発散の対象になったのは許しがたい事実だとしても、である。逆にそうであるからこそ、そのような現象になると言えるのかもしれないけれども。

しかしそうなるにも時間がかかる。いくつもの季節を巡り、やっと陽の光で溶けるところまで雪が降りてきてそれは初めて起こる。その時までは、本人にとっては長く辛い冬が続くけれども、その瞬間が来てしまえば、あいも変わらず外の世界で季節は回っていて、硬く鋼鉄のように思えた恨みつらみもそれは時と条件が揃えば解ける氷のようなものだったと知る。

氷雪の下を流れているちょろちょろという雪解け水の音を割り切れない気持ちでききながらも、確実に、穏やかに春の訪れを知る。そこからさらに山を下るためにはさらに時間も労力も必要だろう。けれど、そこまで降りてこれたのは事実だ。長い、孤独の冬山を耐え忍んで来たということは褒めてあげてもいいのかもしれない。

季節はさらに巡り続ける。緑が香れば、陽の光を讃える向日葵が咲き、そして熱帯夜が過ぎれば、葉が色づく。散りゆく葉を眺めては、やがて訪れる雪夜を想う。

人は厳しさの中にも、常々美しさを見出してしまう。そうしたくないと思っていても、たとえ白黒の世界に生きているとしても、ふとした瞬間に自分だけの美しさを見つける。しかし、その美しさはその時すぐに気づく類のものだとは限らない。未来のある時点で過去をふと振り返った時、あるいはそれがひょこと顔を出した時、あれは美しかったと思い出すものかもしれない。今朝の窓辺の霜のように。

生きるということは、その時のためにあるのかもしれない。

死んでしまえば、その瞬間は訪れないのだろうか。

何かの体験をどういう経験に変えるかは自分次第だ。人間には事実を真実に変える力がある。辛い体験だったとしても、ある一時それを美しい経験だったと思ったならば、それはその人にとっての真実となる。真実は誰にも奪えない。たとえ誰かが否定しても。

そうして人は生きていく。それは例えば狂気と呼べるかもしれない。あるいは –– 。

季節は今日もめぐりゆく。堪え難い冬を生き抜いた人が、今日もいる。

春の訪れを、ともに祝えたら良いと思う。